見捨てられ不安というバクダン。

誰でも少しはあるのでは?と思う「見捨てられ不安」。私はとにかく「見捨てられ不安」が異常に大きいようだ。事後に気づいたことだが、たぶんこれが原因で大人になってから2度も大きな人間関係のトラブルを起こしてしまっている。どうして自分はこんなにも「見捨てられ不安」が強いのか。いつから抱えているのか。向かい合っていくと自分の場合、やはり原因は幼少期にある。幼少期から見捨てられないよう、必死に生きてきたからだ。

 

私が幼稚園の年少位だったと思う。母が離婚しホステスをしながら育ててくれていたある日、突然「今日からこの人がお義父さんだよ。」と、お客の一人だったという男性を連れてきた。未婚で30代位だったその人は、とにかく本当に急に家族の一員となった。姉や兄は私よりも物心をついていたので、すぐに受け入れることはなかなか難しかっただろうと思う。特に姉は大人になるまで「お義父さん」と呼ばなかった。私は幼かったので、家にもお義父さんができたことに、素直に嬉しかったのを覚えている。義父はちょっと偏屈なところがある人だが、私はそんな義父に当時から良く懐いていた。

 

義父が来てからは、幼い私でも分かるくらいに生活が一変した。主に金銭面だ。大手の印刷会社に勤めていた義父には年2回の賞与があり、ボーナス時期が来るごとに家族のために大きな家電を買ってくれて、生活がどんどん快適になっていった。車もあり、すでに大きかった姉はほとんど行かなかったが、夏休みには家族で旅行にも行けるようになった。当時大人気だったファミコンなども買ってくれたりして、血の繋がっていない私達を義父なりに可愛がって、本当に良くしてくれたと思う。感謝してもしきれない程だ。

 

一方で「今日から義父だよ」と連れてきたはずの母は、こんなにも良くしてくれている義父と籍を入れるのを嫌がった。それは今も続いていて、未だに籍を入れていない。離婚を経験していろんな苦労をしたからだとは思うが、子供には結構ツライ環境になった。もともと離婚した時に母は旧姓に戻ったが、子供だけ折り合いがつかず本当の父の苗字のままで生活していた。そこに新たな義父の苗字が登場。表札には3つの苗字が並んだ。思春期はとくに、何か学校で親の名前を書く書類を出す度に嫌な思いをしたのを覚えている。

 

そんな母と義父は今でも一緒にいるのだが、当時からとにかくケンカが絶えなかった。ただのケンカではなく、大ゲンカだ。ケンカをすると常に数ヶ月単位に及ぶ。夜中に口論で目が覚めて眠れなかったり、数ヶ月も口を聞かなかったりが頻繁に起こっていた。時にはリモコンをぶん投げて物が壊れたり、熱々のラーメンが家の中で投げつけられたりと、ドラマで見るようなかなり激しい大ゲンカだった。その度に母は私にいつもこういうのだ。「お義父さんは本当のお父さんじゃないんだからね。いついなくなるかわからないよ。覚悟しておきなさい。」

 

そんな環境で育ったため、かなり小さい頃から「見捨てられ不安」は当たり前にあった。でもそれが当たり前すぎて、良い歳になるまで自分が「見捨てられ不安が異常に強い」とは思いもしなかったのだ。もともと私は「望まれずに生まれた子供」という意識が高い上に、良い子でいないと「お義父さん」はいなくなってしまう=見捨てられてしまう。そんなバクダンを抱えながら育ってきたのが、今の私を作った要因に大きく影響しているように思う。気づけた今、少しでも意識を変えたい。だけど小さい頃から当たり前のように蓄積されたものを急に変えることはとても難しくて。何が普通で、何が異常なのかも理解が足りずにいる。意識の変え方も検討がつかない。こんな状況でいつか生きづらい毎日から抜け出せる日は来るのだろうか?

 

親に育ててもらう時期は、子供にはどうにもできないことが多すぎる。それなのに理不尽にも時間は待ってくれない。自分の心は置き去りのままでも、見た目だけはどんどん成長していく。そして実年齢が大人に達した瞬間から、世間から大人としての立ち振る舞いを当然のように要求されてしまう。そこがツライ。小さい頃に可哀想。大変だね。大丈夫?と言ってもらえそうな出来事があったとしても、大人の年齢になった瞬間、昔と今を切り離して今だけを見られてしまう。とはいえ結局、誰しも様々な苦労をしてきているだろうに立派に大人になっているのが実状で。気がついたのすら最近だけど、きちんと大人になれていない自分はやはり甘いんだろうと自責を続ける日々だ。