「完璧っぽい人」が苦手。

完璧な人など、この世にはいないと思っている。だけど普段生活している中で、それっぽい人はあちこちに存在する。そんな「完璧っぽい人」が私は苦手だ。

 

社交性のある人。何事もしっかりこなす人。冷静に事を判断できる人。自分の意見をアピールできる人。...こう書いてみると、私とは正反対な人種だ。言い換えると「自尊心が高い人」が苦手なのかもしれない。こういう人はだいたい誰にでも好かれ、本当に良い人が多く、人望も厚い。なのに、そういう人たちの前では、なるべく関わらないように空気のように気配を消す自分がいる。まぶしくて、私がひどく場違いな気がして。私という存在をその場から消したくなるのだ。

 

私はたぶん自尊心が異常に低いようだ。いつも浮かないよう、目立たないよう、はみ出さないように必死だ。まわりの人と比べて、自分のレベルの低さが露呈してしまわないかとビクビクしている。とにかく迷惑をかけないようにと、必死に猫をかぶって生きているのだ。「完璧っぽい人」が側にいると、そんな私を見透かされそうでオドオドしてしまう。

 

逆に欠点がわかりやすい人が好きだ。レベルの低い完璧から程遠い私でも、少しだけ一緒にいても大丈夫かもと安心させてくれる。いつもぎりぎり背伸びの「つま先あるき」だけど、今だけはかかとを少しだけ下げて歩いてもいいのかな?と。

 

この歳になって今さら思うのは自尊心って大事だなということ。「自尊心」は今の自分を変える大切なキーになると思っている。だけど、いい大人になってから自尊心を育てることはなかなか難しくて。

 

そんな自尊心のない大人なのに、私は気がつかず親になってしまった。子供も少しずつ心が育つ時期にさしかかってきていて。今はとにかく親として子供の自尊心を大切にしたいと思う。とはいえ自分にないものを育てるのは、これまたとても難しい。子供を見てると自分と同じ方向に進んでいないかと不安になる。なんとか自分のような大人にならないよう、子供がかかとをつけて歩いていけるようにと、悩んで模索する日々だ。

親のせいにして良いのか?というジレンマ

調べてみると「境界性パーソナリティー障害」になる理由はいろいろあるようだ。その中でも恐らく私は理由が割と解りやすい方なんだと思う。なぜなら私は幼い頃、いわゆる「性的いたずら」を受けて育ったからだ。このことが原因で「人と違う」人格障害になってしまったのだろうか?

 

この病気を治すためにいろいろ調べてみると、自分の中にある親への憎しみとか恨みとか...そういった薄暗い感情をきちんと認めること。それがまずは第一歩のようだ。ただ正直、今の自分の状況を「親のせいにして良いのか?」と常々葛藤している。私の中にも親のせいにしたいと思う気持ちがある。親のせいにできたら、もう少し気分が楽になれるかもしれない。でも一方で、親へ責任を押し付けることへの罪悪感がある。良い大人なのに親のせいにするの?と叱責する自分がいる。この歳になると親も年老いてきて。面倒をみないといけない立場も視野に入りつつある中、親に今さらそんなことを思ってしまう自分に嫌悪して落ち込む日々だ。

 

何が正しくて、何がいけないことなのか。考えていると分からなくなる。そんな毎日で心の青空までは、まだまだ時間がかかりそうだ。でも、いつかの日か「これでいいんだ」と許容できる自分を見つけられるといいなと思う。

自分が「人と違う」と知ったきっかけは、30代後半。

私の年齢は立派な大人だ。立派な大人=立派なおばちゃんになるはずだった。自分ではいつどこでその階段を踏み外したのかはわからない。

 

自分が人と違うと知ったのはつい数年前。30代後半になってからだ。仕事でなんやかんやあり、はじめて心療内科に行ったことがきっかけだった。

 

病院では現在の状況と過去のことをいろいろ聞かれた。そのいくつかの質問の中で「母親はどんな人?」と聞かれたが、自分でも不思議に思うが答えることができなかった。他にもいろんな質問をされたが、正直あまり覚えていない。

 

診断書には「適応障害」。その帰り際、医者から1枚のリーフレットをもらった。うろ覚えだが「境界性パーソナリティ障害 〜 アダルトチルドレン」というようなタイトルのリーフレットだったと思う。

 

「パーソナリティ障害」ーー
正直初めてに近い言葉。衝撃的だった。適応障害なのになんでこのリーフレットを渡すのか?と疑問に思うと同時に、言葉のインパクトがすごく心に重くのしかかり、まるでダメ人間としての烙印を押されたような気さえした。

 

帰ると早々にリーフレットやネットでこの病名について調べた。確かに思い当たる部分も多くあった。今まで生きてきた中で様々なトラブルがあり、その度に私の対応が間違っていたかな?と反省はしてはいたけど、まさか「自分の根本」に問題があると思ってもみなかった。ネットでは30代になると落ち着いてくる場合も多いという情報もあるのに、30代後半で真っ只中の私。

 

ある意味では気がつく前は幸せだったのかも知れない。自分に欠陥があると知ったら、どうしてもいろんなことに自信がなくなってしまうから。

 

この歳で知ってしまった今、死ぬ間際には少しでも「良い人生だった」と振り返ることができるように、今さらだけど本当の自分を見つめ直していきたい。

つま先あるき

私はいつも、つま先立ちで歩いてる。
体の立ち方のことじゃなく、心の立ち方の話だ。
そんなことに気がついた日から、毎日とても生きづらい。

 

そんな中「生きづらいふ」というブログと出会いとても共感した。
まだまだ人生これからの若い方のブログ。
だけど、とても心に響くものがある。

 

私はもう40にもなったのに、いつも背伸びをして歩いている。
息をするのもやっとな日々だ。
本当はもっと自分らしく生きてみたい。

 

そんな思いを少しずつつづる場所。
いつもは猫をかぶって生きているが、1匹ずつでも脱いでいきたい。
良いことも悪いことも。ここでは正直に生きていこうと思う。